2020年の大学入試改革では「思考力・判断力・読解力」を問うことが謳われている。これは、国が公式に、今までの教育制度の中では、「思考力・読解力・思考力」が身についていないということを認めたとみても良いと思う。

いわゆる「ゆとり教育」で学力低下が叫ばれ、その子たちが社会に出るにあたって「ゆとり世代」「ゆとり社員」などと呼ばれ、まるで本人たちに全ての責任があるといわんばかりであるが、責任の大半は、彼らをそのように育ててしまった大人にあるのではないだろうか?

また、「失敗でした」「思考力が育ちませんでした(テヘペロ)」などといったところで、今一度、小学校からやり直すわけにはいかず、一生、そのハンデを背負っていかなければならないかもしれない。

最大の問題は、本当の責任は大人にあるにも関わらず、責任を取らされるのは「ゆとり世代」の本人たちであるということだろう(自立できない子どもに育ててしまった親は、生活費の負担や将来の不安などの責任を取らざるを得ないのだが)。

本当の目的を見失い、目先の結果のみに目を向ける子供たちの価値観は、目先の結果のみを評価する大人と、目先の利益とノルマ達成を至上命題とする塾によって作られていることは忘れてはならない。